1985年5月A日
日本人ビジネスマンのマナー

ホールに出て接客する機会がたまにあるが、そんな折り日本人客とオーストラリア人の客との違いがわかっておもしろいというのが、この店にいて唯一トクをする点である。この店での数々のエピソードをまとめて、一冊の本にすれば、これこそ比較文化論の決定版になるだろう。
先日、当地に駐在しているちょっとエライさんとおぼしき日本人ビジネスマンの5人連れがやってきた。この時のこのオッサンたちの態度などは、日本人の醜悪なところを惜しげもなく丸出しにした。
その代表格と思われるオッサン(この人物に対してはこの表現が最もピッタリくる)が、まず店に入るなり、どこかでもらってきたカニを5匹ばかしキッチンに持ち込んで、オレたちに向かって、
「これ、ちょっと料理してくれや、なっ。」
4分の3以上命令口調でそう言った。
彼らは常連さんだが、だからといって、あの高圧的、半ば命令的な口調は許されるはずはない。
そして彼らの注文の出し方は、オーストラリア人のそれとまったく違って、ここを日本の安酒場と錯覚し、100%そのつもりで1品づつ小出しにする。この店は日本レストランだが、この店は日本にあるのではない。
地元の人も大勢働いている、あくまでオーストラリアにあるオーストラリア人のためのレストランなのだ。この店の内装は一応日本の飲食店風に作ってあるが、テーブルの間隔もゆったり取って作ってあり、客もある程度のマナーを求められる、それ相当の格式のある店である。
彼らは酒ばかりよく飲む。5人とも別々の会社ということで緊張感がないせいか、日本人がやってる店という安心感があるせいか、どうしても少し開放的になるのだろう。地元の客が少なくなるにつれ、だんだんと声が大きくなってくる。午後10時半、店内がとうとう彼らだけになった時には、歌は歌うは、こすり手の手拍子は出るは、ウェイトレスにからむは、もう釜が崎の串カツ屋そっくりそのままの状態を彼らは再現し始めた。
断っておくが、彼らは全員、揃いも揃って日本を代表する総合商社と大メーカーの駐在員たちである。しかも役付きの。地位もあれば、収入もある。おそらく知性も「昼間は」あるはずの人たちなのだ。
そのうちの一人がとりわけ酔っ払ったらしく、また例の代表格のオッサンが、キッチンへ入ってきて、オレたちに寿司を握って食わせろと言いだした。
笑いながらしゃべりかけてはいるものの、オッサンはまたあの4分の3以上の命令口調でせまる。オレたちは客だ、神様だ、おまえたちは何でもオレたちの言うことをきくのが当たり前だ、とノドもとまで言いかかっているのがミエミエである。(寿司なんかそんな簡単にできるはずないやろ、バカヤロー)。
すべてのオーストラリア人客がウェイトレスから料理を出されるたびに、彼女たちの目をまっすぐに見て、Thank youと例外なく心をこめて声をかけるのとは180度違う。
スズキ氏はさすがに作れないと丁重に断ったが、それならチラシズシを作れ、とやつは言ってきた。(全然違いはネーンだよ、マヌケ)。
それも作れないと言っても、まだしつこく頼む。スズキ氏がオニギリならできると言うと、やっとオッサンは納得した。
オレが一つ作ってやったら、ヨッパライがもう一人増えたとか言って、もう一つ頼みに来る。また作る。
他に客は誰もいない。時刻は11時半をとうに過ぎている。オレたちが夕食の支度に取り掛かったら、また、
「オニギリ、作ってくれや。」
とオッサン・・・・。
水商売の経験のない人に言っておく。終了間際のネバリ客は店の従業員にとって、殺意を喚起させる時がある。
12時少し過ぎになって、われわれもとうとうしびれを切らして、店内のいつも夕食を取るテーブルに座って食事を始めたところでやっと彼らは帰った。
やれやれ。みんな、どうもありがとうございました、という出すに出せない声を、必死の思いで絞り出していたが、その声の裏に、とっとと帰れ、バカヤロー!という言葉が聞き取れた。
西オーストラリア大学で日本語を学んでいて、福岡での留学経験もある(西オーストラリア州から交換留学生で日本へ行く場合、九州方面が多いようだ。)ウェイトレスのジニーが、
「ケンさんも、昔ああだったの?」
と訊いてきて、まったく答えに窮してしまった。あのままサラリーマンを続けていたら、自分もああなる可能性が大いにあったであろう。
まだ尋ねてみたことはないが、日本人の男性客のマナーはすべての客層のなかで最悪だというのが、この店で働くオーストラリア人ウェイトレスたちの一致した見方ではないだろうか。
他にもこの手の日本人客の例は、枚挙にいとまがないことを付記しておく。
1985年5月B日
ドライブ

スズキ氏が近々寿司を本格的にこの店でも始めるため、日本へ2週間ほど帰ってしまったため、店は現在休業中。パースにいてもすることがなく、昨日までオレと英語学校で知り合った日本人の友達2人の3人で、1週間西オーストラリア州西南部の1周ドライブとしゃれこんだ。
あいにく雨がちの日が続いて、予想していたほど楽しめなかったのが残念だったが、店のことをまったく考えずに過ごせたのが何より精神浄化のクスリとなったようだ。
雄大な景色を見るということは人の心を和ませてくれるものなんだろう。日本とはまったく比較のしようもないダダッ広い牧場をまるまる1週間見続けたおかげで、ここんとこ萎みがちだった胸も少しふくらみを取り戻してくれたようだ。
1985年5月C日
無力感

ドライブから帰って4日たった。まだ仕事が始まるまであと3日。きのう今日と職安に行ってみたがいいのがなく、もう転職は半ばあきらめたい気持ちになってきた。
また、カネの余裕がなく、帰ってきてからこの部屋に閉じこもりがちだが、どうも無力感や焦りみたいなものがある。
来る日も来る日も何もしないで過ごすというオーストラリア人の得意技は、日本のサラリーマン社会でわずかながらももまれてきた自分には、まだマスターしきれないということか。もちろん、そんなのあんまりマスターしたいとも思わないが。