1985年3月F日
幼稚な授業

だいぶん英語に慣れてきたみたい。オーエンとフローラの言葉がかなりのところまでわかるようになった。人と話をするとき、相手の言うことの聞き取れないことには会話にならない。
この国で周りの人々と生きていくには、この国の人々の話し方を理解することがまず第一に必要だ。オレのしゃべる言葉はまだまだ不正確だが、この感じで順調にいってくれればいいのだが。
それにしても学校の授業がおもしろくない。アカデミックなものを、とまではいかなくとも、もう少し大人っぽい授業のあり方はないものか。クラスの中に17才、18才の生徒もいるため、ある程度の幼稚さは容認できるが、世界の国の中から好きな国を3つあげよとか、世界史上最も偉大な人10人を3人グループになって選べとかいう授業を、こう毎日毎日続けられると、もうええ加減にしてくれや、と言いたくなってくる。
1985年3月G日
ロットネスト島とスワン川クルーズ

ロットネスト島に行ってきた。この島はパースの外港フリーマントルの冲に位置するインド洋上の小さな島で、パース市民の一年を通じてのリゾート地である。島そのものは別にどうということはなかったが、パースからフリーマントルに至る、遊覧船のデッキから眺めたスワン川の両岸の風景はまったくタメ息ものだった。
小高い緑の丘に散らばる家々、大きなクルーザーの上で陽光を全身いっぱいに浴びせてビール片手にくつろぐ人々、そして無数の白い帆を浮かべるヨットの群れ。オーストラリアならではの光景に、しばし心から耽溺してしまう。
遊覧船のデッキの長椅子に座っている人々はみんな地元の人たちなんだろうか、彼らは周りの景色に特別注目する様子はない。ただ、連れ合いと話をするだけ。みんな飲み物を片手に、ワイワイガヤガヤ楽しそうである。
顔いっぱいに太陽を浴びながら、デッキの端の手すりに頬杖ついて、後ろへ流れていく白波を見つめていると、自然と顔は微笑みを作る。この国へ来て以来、まだもうひとつペースをつかみきれないことへのあせりも、この時ばかりはどこかへ姿をくらませてくれた。この20キロ足らずの艶やかな異国情緒は、とっぷりとやさしくオレを包んでくれた。
日本から来たと思われる新婚カップルが同乗されていたが、彼らが頬を寄せ合い、微笑み合う姿にちょっとジェラシー。うらやましね、お二人さん。バラ色の時間なんてのは、こういうひと時をいうんじゃないだろうか。
そして肩をすくめてタメ息をついたオレの横では、ブショー髭を生やしたニイちゃんが、汽笛にまぎれてオナラをした。潮風に混ざって、それはシャネルの5番の香りに変わろうはずもなく、やはり万国共通の香りがした。