A-29, 30, 31, 32, 33 荒れるスズキ氏, 美しいもの, 続:美しいもの, ケンカ, 愛車フォード・エスコート購入

1985年6月E日

荒れるスズキ氏

荒れる スズキ氏

 今日またスズキ氏にさんざんやられた。バカだのチョンだのズルイだのと、よくあれだけ言いたい放題言えるもんだと思う。今まで何べんもあのオッサンの左頬に右ストレートを決める夢を見てきたが、今日はそれが正夢になる寸前までノーミソの温度は上がった。

 小学校3年生以来、20年近くケンカなどしたことのないオレだが、気の長い自分に恥じ入るべきか、感謝すべきか。はたまた気の重い日が続く。

 最近ノリさんとよく話をする。あの人が言うには、今までこの店で働いたワーキングホリデイ旅行者たちは、ほとんど全員2、3ヶ月でやめていったという。だが、それはスズキ氏との折りの問題であったからではないか、と思わざるをえない。あれでは普通の人間ならとてもついていけない。

 ノリさん自身もここで仕事を始めた当時、店の入り口のまん前まで出勤していながら、今日は帰ろうと何回も何回も迷ったそうである。ドアに手をかける直前、これから始まる地獄を想い吐き気をもよおして、通りの人のいないところまで行って本当にヘドを吐いたことも2度や3度ではなかったという。

 ノリさんはスズキ氏と同い年であるため、もしスズキ氏が今のオレに対してと同じような口調でノリさんを怒鳴りつけていたのなら、当然のことながら、彼にはオレ以上のやりきれないものがあったに違いない。陽気な九州男子(ちょっと頼りないけど)のノリさんは多くを語らないが、その心中察するに余りあり過ぎる。

 それを想うと、オレの場合など取るに足らないものとも言えるのかもしれないが。それにしても・・・・・。

1985年6月F日

美しいもの

美しい 花

 今日、日本から持ってきながら、なんとなく気乗りがせずに残しておいた三島由紀夫の「金閣寺」を読み始めた。相変わらず彼の本は華麗かつ難解だ。読むにつれ、本当に美しいものとはいかなるものかと考えた。

 美しさとは、目で見て美しいもの、耳で聞いて美しいもの、鼻で嗅いで美しいもの、食べて美しいもの、触って美しいものという5種類に理屈の上では分類されるのだろうが、永遠不滅の美しさを持つものとは、いったいどんなものなのだろう。

 気持ちよい音や音楽も回を重ねて聞くとどうしても飽きがくる。香りのいいものも鼻が慣れればどうということはなくなる。おいしいものは腹一杯食えばもう食べれなくなる。触って心地よいものなどあんまり考えつかない。と消去法的に考えると、目で見えるものの中に永遠不滅、絶対的に美しいといえるものがあるのでは、と思えてくる。

 地球のどこかにあるであろう、ただひたすら美しいもの、美しい場所、それらと巡り合えますように。もし巡り合うことができたなら、この数年しぼんだままの自分の胸もまたいっぱいにふくらみ始めるかもしれない。美しいものに感動することが、希望をもたらしてくれるかもしれない。

 とりとめもなく、つれづれなるままに、非論理極まる思いがやたらと暴走気味に額の斜め上20センチを巡っていく今日この頃だ。これも季節のせいか。

 5月。南半球は晩秋を迎えた。2階の部屋から窓越しに見える、通りのポプラの葉の色が変わりそうで変わらないもどかしさが、

 「ここはオーストラリア。オレたちはオレたちのペースでやっているのさ。」

と、オレを諭しているかのようにも見えてくるが・・・。

1985年6月G日

続:美しいもの

美しい 花

 昨日の続きをまだうだうだと考えている。

 美しい心というのも永遠不滅の美しさを持つものなのかもしれない。しかし心が人の所有物ならば、何かのきっかけでそれを失うことになるかもしれない。それに100%完璧に美しい心を持つ人など、いったいこの世に生存しうるんだろうか。

 万が一、そんな人が自分のそばにいてくれたなら、きっと素晴らしい人生になるだろう。だが現実にそんな人が出てきたら、自分とその人との隔たりに絶望感を感じて、反対に落ち込んでいくんではないか、という気がしないでもないが・・・・。

 こんなガラッパチをも物思いにふけさせる秋は、この国では実にゆっくり進んでいく。

1985年6月H日

ケンカ

ケンカ

 昨日、ロッジのキッチンでケンカがあった。片方は明らかに脳に障害があると思われる30才くらいの男。もう一人は隣りの部屋のこれまた素行ノーグッドなロスという男だ。

 些細なことからいざこざがこじれて、とうとうなるようになってしまった。二人ともふだんからみんなから煙たがられていたため、誰も口を出さず、放っておいたら案の定のこと。

 結局、脳に障害のあると見られる男がやられた格好になったが、管理人さんの話によると、やつはどうやら政府の保護施設のようなところへ行くことになるだろうということ。どこの国にもよく似た人たちはいるものだ。

1985年6月I日

愛車フォード・エスコート購入

車 フォード エスコート

 車を買った。1970年型のフォード・エスコート、白のパネルバンだ。ここの国には日本のような車検制度がないため(2年に1回、十数万円かけて車の総点検をするなんて、日本以外ではほとんど例がないらしい)、こいつは日本ではちょっと見ることができないオンボロ具合である。

 この州の地元の新聞、The West AustralianのFor Saleの欄で発見。むかし車の整備士をしていたことがあるノリさんに付き合ってもらって、700ドル(約8万円)で買ったが、この1週間、こいつにはまあよくもこれだけ悩ませてくれるもんだと感心させられっぱなしである。

 買ったその日は売ってくれた人の家から我が家へ戻る途中でガス欠。2日目はバッテリーの放電。3日目はオーバーヒート。4日目はワイパーの破損。連日連夜、RAC(当地で日本のJAFに相当する組織)にお世話になりっぱなしである。RACの電話の交換手のおネエさんもオレの名前と車種を覚えてくれたほどだった。

 そして装備も超一流のボロさである。ドアの鍵が壊れている(外観を見ても、誰もこの車に何かめぼしいものなどあると思うはずがなく、別に気にもならないが)。左の方向指示機が点灯しない。ドアミラーが左右ともにひびが入って見えない。エンジンルームのガソリンの臭いがモロに室内に入ってくる。ボロボロのシート。

 きわめつけはダッシュボード。それは強化プラスチックならぬ、なんとベニヤ板を張り付けただけでできている。2代前のオーナーがマメな人で、その人の苦心の傑作らしいが、よくもまあここまでやってくれたものだ。

 まあエンジンは快調であるし、燃料もリッター当たり8キロと絶望的には悪くはない。とりあえず700ドルの車に文句は言うまい。

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