1985年3月H日
わからない英語

また英語がわからなくなってきた。オーエンの言うことはわかるのだが、フローラのがどうもわからない。そのおかげかここんとこ彼女との仲がなんとなく険悪になってきたみたいだ。
先週、でしゃばってオレ特製の和風スパゲッティ(なんということはない、ただスパゲッティとごはんのふりかけを一緒に炒めただけ)を作ったりして、彼女のプライドを傷つけてしまったのかもしれない。
1985年3月I日
外国人の英語上達の早さ

日本以外の国から来たやつらは、いったいどうしてあんなに聞き取りができるんだろう。文法なんかまったくメチャクチャでしゃべっているやつでも、先生の言うことは100%理解している様子だ。
西ドイツからひと月前に来たというある30代の女性は、ここへ来るまでただの一度も英語を学んだことがなかったそうだが、今では少なくともオレの耳には完璧な英語を話しているように聞こえる。
英語もドイツ語も同じゲルマン語族に属するとはいえ、その上達のスピードはわれわれ日本人のそれと比べると、ウサギとカメどころではなく、リニアモーターカーとお婆さんぐらいの差がある。まったくガク然とすることこの上ない。
1985年3月J日
二人の大学生

退職記念日(?)から今日でひと月がたった。だが、毎日毎日背広を着て、ネクタイを締めて、関西一円を走り回っていたのがもう何年も昔のように思える。
こちらへ来て最初の2、3日、仮の宿としていたホテルで、卒業を間近に控えた二人の日本人の大学生に会った。一人は旧帝国大学から某総合商社へ、もう一人は有名私学の一校から某都市銀行へと行き先が決まっていると言っていた。二人と話をしていて正直無性にあせりを感じた。
実社会に向かっていざ行かんとする彼らにまったく逆行するがごとく、モラトリアム宣言をしたかのような自分がやたらみじめに情けなく感じて仕方がなかった。いったいオレはこんなところで何をしているのか?今すぐ帰りのフライトを予約するか、と一瞬血迷った。
いま日本へ帰れば、適度の休養の後ということで、頭を切り換えて新しく事に取り組めるかもしれない。そんな思いも依然胸に残っているのも事実だ。
だけどそれはできない。やはり今は帰れない。この国へ来て3週間、オレはまだなんにもしていない。
1985年3月K日
英語学校を終了-職探しへ

夜になって気がついたが、今日はオレの27回目の誕生日だった。歳をとるに従い、だんだんと誕生日に対する執心も薄れてきていたのと、異国での煩雑さが、誕生日など心の隅っこへ追いやってしまっていたのだろう。
昨日、英語学校を卒業した。オレ一人だけの証書授与だったため、スピーチさせて頂くとの栄誉を給わり光栄だ。ふり返ってみると、4週間いろいろあったが、けっこう楽しい日々だったと言えるのかもしれない。
当初、同じクラスのインドネシアの17才の女の子とフィジーの18才の女の子あたりと、どうもウマが合わなかったため、ユーウツな気持ちで授業にのぞんでいた時期もあったが、途中からはすっかり彼女たちにも学校にもなじんで、昨日は気持ちよく出ていくことができた。
だが、これまでの1ヶ月はただの助走路にすぎない。いよいよ明日からジョブハンティング。この国での生活の本番が始まる。