序文

このストーリーについて前置きしておきたい。
長文失礼。

何が書かれているか

このストーリーの序文を書き始めたいまは2025年の2月。沈丁花がもうすぐ咲こうというころ。

いまから40年前の1985年のまさにこの時期に僕は日本を出て、まる3年間世界あちこちを回り、1988年2月に帰国した。

僕はいま66歳で、26歳で出国し、29歳に帰国したということ。

このストーリーはその3年間に訪れた26ヶ国・地域で、見て、聞いて、動いて、感じたことを記した日記&エッセイである。

帰国後の1年をかけて1989年に一度ほぼ完成をみた。ただ諸事情によりこの日まで世に公開されることはこれまでなかったが、それをこの歳になって公開することにした。

多くの旅関連の個人サイトでは、旅先の場所を数日訪れてそこで見た感想を旅人として書くというスタイルを取っているが、当ストーリーではそうではなく、多くは僕がそれぞれの場所に「住んで生活をしてそこで感じたことを住民として書く」スタイルを取っていることが特徴だといえる。

また旅で見たものを書いたというより、各地の人たちと話をして感じた自分のかなり私的な思いを綴ったエッセイのようにもなっている。

※ このストーリーがどのような経緯や背景で40年の時を経ていま公開されることになったのかは、「筆者とこのストーリー」のページに詳しく書いたのでそちらも読んでいただければと思う。

9つのパート

この3年間のストーリーは順番に以下のような9つのパートに分かれる。

1.西オーストラリア州、州都パースにて
2.西オーストラリア州北部、砂漠の港町カラーサにて
3.オーストラリア東部、ニュージーランド、シドニーにて
4.東南アジア5ヶ国(マレーシア、タイ、シンガポール、ビルマ=ミャンマー、フィリピン)でバックパッキング
5.ロンドン・ヒースロー空港の拘留所での2泊3日
6.パリ、オランダ、ヨーロッパを横断してイスラエルまで移動
7.イスラエルの農場でのボランティア生活。エジプトの旅
8.ノルウェー北端の漁村。ヨーロッパ縦断しアムステルダムまで移動
9.香港、台湾にて

このストーリーのコンテンツとして載せてある記述内容は、一部の補足や修正があるものの、1989年当時にほぼ完成させた当時からほとんど変えておらず、今後も変えるつもりはない。

当時はインターネットのない時代で、外地で調べ事をする機会は極めて限られており、特に何ヵ所かの僻地では実質的に不可能であり、下調べが不十分ななかで書かれている箇所も多く、推測で書いた箇所も多い。でもそれは当時としては仕方なかったのでそのままにしてある。

またここに書かれている思いはいま60歳代後半の自分のそれとはかなり異なることもあり、中には正反対のこともある。だがそれらは当時ばりばりの青二才の自分の生の思いであり、1980年代後半の世界を真っすぐに見て、肩書や名刺を持たず、草の根レベルで話し、肌で感じた若者の思いであるので、それを修正せずにそのまま残すことに価値があると考えている。

タイトルについて

タイトルの「26-○○」というのは、26歳に出国し、26か国・地域を訪れたことに絡めて名付けた。

特に26歳というのは人生の中で分かれ道の年頃だと思っている。この時期に人生を振り返り、反省し、後悔し、以後のことを深く考えることはとても重要だと思う。

僕の場合は当時としてはかなり極端な経験を結果としてやってしまったが、けっして望んで日本を出たわけでもなく、3年という長い時間を外地で過ごすと決めていたわけでもなかった。

出発する数年前の挫折、迷い、絶望、空虚感などに取りつかれて押し出されるように出ていき、行く先々で発見、反省、奮起などが次々と起こり、その時点時点で自分でやることを選択し、行動を起こした結果そうなった、というのが本当のところだ。

外地で過ごした3年間と日本でそのままの生活を続けた自分とで、どっちがよかったかは比較のしようがない。自分の選択が正しかったのかどうかもわからない。

だが、僕としてはあの3年間は人生の金字塔だったと言い切れる。

読んでほしい人たち

同年代の人

ぼくがこの外地体験を話した時、「実は俺もやりたかったんだけどなあ・・・」、「お前、めっちゃうらやましいわ~」、「生まれ変わったら、私もやる」、などという反応をたくさんもらう。

僕と同世代のそんな人たちがこのストーリーを読んでどんな感想をお持ちになられるのかたいへん興味のあるところだ。若いころ何かの理由でできなかったことを僕が代わりにやったと思って、ぜひ読んでいただきたいと思う。そして自由をいっぱい感じていただければと思う。

ちなみにすでに時間と資金の余裕がある立場におられるのであれば、ぜひご自身で世界を自由に歩き回りに出て行かれればいいと思う。きっと素晴らしい体験が待っているはずだ。

26歳前後の人

そしてこのストーリーを読んでいただきたいもう一つのタイプの人たちがいる。それは僕が日本を出た26歳前後の年頃の人たちだ。

その年ごろの人たちの多くは社会人としてそれなりの時間を過ごし、自信もある程度ついてきていると思う。一方でこのままでいいのかとの不安や不満や迷いも出てきているのではないかと思う。

そんな人がこのストーリーを読むことで、何かインスパイアされることがあるのではないかと考えている。

僕の場合、当時はコンプレックスの塊りだったので、それを打開するための消去法で唯一残された道が外地へ行くしかない、と信じて出ていった。

そして決して日本で生きていては経験できないことをかなり極端なレベルで体験した。そのことでごく普通の人間だった僕が3年間で大きく変わった。

これまでの自分を変えてみたいと思う人には、オレも、ワタシも、と前向きになってもらえる事例が多く書かれているのではないかと思う。

だんだん中身が濃くなっていく

このストーリーでは、時間を追うごとに書く内容が濃くなっていっているのがわかっていただけるはずだ。

日本を出て間もないころはまだ挫折感や空虚感に引きずられてかなり凹んでいる自分のことを中心に書かれてあるが、時を経て英語能力の向上や外国暮らしの慣れが身につくにつれて、周りの外国人とのコミュニケーション力が高まり、話し相手や周辺環境への理解・同化が進んだことにより、より深いレベルで思いを語り合えるようになっていったのがその理由だと思う。

ストーリー冒頭の西オーストラリア・パース時代の序盤は暗く低調な記述が多いが、バレーボールを始めたころあたりから徐々に生活の底強さが出てきて、それ以降はかなりダイナミックな生活が送れるようになり、記述も少しずつ力強くまたユーモアも多く語れるようになっていった。

先に進んでいくにつれ会話文が多くなっていくが、異なる背景を持つ当時の若者同士の生のぶつかり合いが書かれていて、いま読み返してもよくここまで書き留めておいたものだと自分でも感心する。

多少のネタばらしをすると、砂漠の港町カラーサでの生死ぎりぎりの体験、ヒースロー空港での拘留生活、エジプトでの魔法のような日々、北極圏の漁村の夜の世界、などの実話は何度読み返しても心がギューッとなる。

そんな体験っていいなあーと漠然と思っている若い人たちには大いに刺激となる内容だと思うので、ぜひ読んでいただきたい。

長い序文になったが、このストーリーはさらに長い。

途中にはご興味の対象にならない箇所も出てくるかもしれないが、ぜひ飽きずに読み進めて壮大な模擬世界体験を存分に楽しんでいただければと思っている。

以上

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