1986年2月B日 ヒースロー空港2日目の5

椅子に座って、テレビを見るともなく見ていると、長身、金髪のえらく「まともな」感じのやつが大きなかばんを2つ提げて、この部屋に入ってきてオレの横に座った。
この部屋の他の「囚人」たちとは少し違った、やけに清潔なムードを漂わせている男だ。椅子に腰掛け上体を前に曲げ下ろして、顔を伏せて、右手で頭を撫でながら首を左右に振っているこの男にオレは声をかけてみた。
「不運だったな。」
「・・・ああ、まったくだ・・・。」
「どこの国からだい?」
「南アフリカだ。」
例のあの国か・・・。そういえば、この男オランダ系の顔つきのようにも見える。
「ほんとに、いったいどうなってやがるんだろう。まいったなあ・・・くそっ・・!」
この男は緊張を解かれたのか、さかんに独り言をしゃべり始めた。
「まあ、そうガックリくるなよ。」
今度はオレが新米を慰める番だ。
「あんたは、どれくらいここにいるんだい?」
「きのうの朝の8時からだよ。」
「そうかぁ、長いね。日本人かい?」
「ああ。あんたはいったいどうしたんだい?」
「6ヶ月の滞在を申請したんだけど、断られたんだ。」
「へぇ、あんた、持ち金は?」
「だいたい約1,500ポンドぐらいかな・・?」
「なにっ!1,500ポンドって!?」
「・・・ああ・・・。」
「米ドルで2,500ドル以上じゃないか。そんな大金を持っていながら、なぜ・・・?」
「オレは知らないよぉ。それにオレ、アメリカンエクスプレスのカードも持っているんだけど・・・。」
「アメリカンエクスプレスのカードもだって!?じゃあ、あんたは金銭的にはほとんど問題ないんじゃないのか?それなのに、なぜ?」
「知らないよ。やつらに聞いてくれよ。
まったく驚きだ。1,500ポンドといえば大金である。切り詰めた生活をすれば、それだけで、6ヶ月のイギリス滞在は十分可能である。その上にアメリカンエクスプレスのカードまで保有しているとは。ここでこれまで会ったやつはことごとく所持金に問題があったが、こいつに関してはほぼまったくないともいえる。それなのに、なぜ・・・?
男はしばらくの沈黙のあと、ポツリと言った。
「たぶんオレが南アフリカ人だからじゃないかな・・・・。」
「どうして?」
男は変なことを言いだした。
男はフッと笑って、
「あんた、オレたちの国が世界的にどういう立場に立たされているか知っているだろう。オレたち南アフリカ人はどこの国へ行くのにもバカみたいにチェックが厳しいんだよ。いわゆる制裁措置ってやつさ。アパルトヘイトに対してのね・・・。それにしても、オレが・・・。」
そこまで言って、この男は前屈みになって、また顔を伏せた。
この部屋はある意味で世界の動きを膚で感じられる、単一の部屋としては世界で最良のところかもしれない。昨日から会った人々を思い出してみる。
つい数週間前から始まったイギリスのビザ規制に引っ掛かったインド人とバングラデシュ人。ソ連の駐屯に反対して、国を脱出せざるをえなかったアフガニスタン人。先進国にて一旗揚げようと集まってきた、この部屋のほとんどを占めるアラブ人とアフリカの黒人。自国の人種隔離政策のおかげで異国で差別を受ける南アフリカの白人。この吹き溜りはまさに世界中の問題の縮図のようだ。
そして、そういう問題のある国から来た人々が、先進国ながら、不況、高失業という問題を抱えた国に入国しようとする時、それらすべての問題は一気に各当時国の国民の個人レベルにまで直接的に具体化するものであるらしい。オレはこのどうしようもなくクサッた場にありながら、何かしらとても貴重なものを発見したような気になって、フッと鼻を鳴らして、肩をすくめた。
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