1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の9

若いアメリカ人が長いインタビューを終えて帰ってきて、オレの横にどかっと腰を下ろした。やつはずいぶん取り乱している。
「あいつら、オレをまるで犯罪人扱いしやがって・・・、何十回も同じことばかり聞きやがって・・・、オレの友人のポールとオレの言い分に違いがないか、根ほり葉ほり聞いてきやがった・・・。」
やつは体を震わせて、聞き取れない英語でまくしたてる。オレはかける言葉もなく、首を左右に振り続けるこの男を黙って見過ごした。
時刻はもう午後9時を過ぎた。このブタ箱にもう12時間ほどいることになる。オレに対するインタビューはあれ以来ない。部屋の中には4人の「囚人」たちが残された。みんな何も口をきこうとはしない。
午後9時半過ぎ、再びアメリカ人が呼ばれ、インタビュールームへ。オレが、
「おまえの場合は大丈夫だと思うよ。」
と声をかけてやると、やつはうれしそうなうす笑いを残して歩いていった。
約10分後、やつは戻ってきた。無表情だ。
「うまくいっただろう?Mate?」
オレはオーストラリア風のあいさつで迎えた。
だが、やつはまったく表情を変えず、
「オレは帰るんだ。」
と一言だけ言って、ばかでかいボストンバッグとギターを拾い上げ、肩の上にのせた。そして、官吏にドアを開けられてやつは出て行った。
まだ二十歳そこそこの男だったが、大きな痛手をこうむったものだ。やつの小さな背中が絶望感をものの見事に伝えていた。
話し相手がいなくなったオレは、もう眠る努力をするしか他にすることがなくなった。
午後10時。
「みんな、荷物を持て!これからみんなを宿泊所まで送っていく。忘れ物のないように。いいな!」
という作業服姿の男の大声が静まりきっていた部屋に響き渡った。ここまで残されたオレたち3人は決して軽くはない足を引きずって、再びあの「護送車」に乗り込んだ。
「今夜、このヒースロー空港内の宿泊所は満員だ。だから、みんなをガトウィック(ロンドンが持つ三つの空港のうちのひとつ)の方へ連れて行くからな。」
と、運転手。
やれやれ、オレたちみたいなのを今日は捕まえ過ぎたのか。「囚人」を入れるところがなくなってしまったのかよ。ちょっとイギリスさん、やり過ぎとちがいまっか。
「護送車」はフリーウェイを走る。暗くて何も見えないが、片道三車線はあるこの道路はなかなかよくできている。テールランプと対向車のヘッドライト以外は、点在する家の灯りだけが見える。約30分の素敵なドライブのあと、「護送車」はガトウィック空港の宿泊所に到着した。
いかにもイギリスの役人といった風のオッサンが手短かに、かつウルトラぶっきらぼうにベッドと明朝の支持をする。もう遅いからすぐさま就寝するようにとのオッサンの声。サンキュー、オッサン。どうせこれ以後何もする気なんて起きないよ。
2人部屋のパートナーとなったアフガニスタン出身という男が話しかけてきた。
「日本人かい?」
「ああ。あんたは?」
「アフガニスタン。あんたもビザを持ってなかったのかい?」
「オレにはビザはいらない。ただ金が足りなかっただけだよ。あんたはどうしたんだ?」
「実はオレはアフガニスタンを密出国したんだ。それを審査官が見つけて入国拒否。強制的にアフガニスタンへ帰らされることになりそうだ。」
オレはもうこの手の話を聞くのに耐えられず、早々におやすみを告げた。
頭は混乱、体は疲労の極地、時差ボケを感じる体力も残っていない。ベッドに入って、シーツをかぶった3秒後、眠りは完全にオレを包んでいった。