1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の7

昼食のためにといったんこの部屋を出ることになった。係官3人に前と後ろをしっかりとガードされ、オレたち3人はだだっ広い空港を出て、ライトバンに乗り込んだ。
そして、中へ入ってみてびっくり。ライトバン前部の運転席・助手席と後部座席の間にはなんと鉄格子が張ってあるではないか。そう、これで両手に手錠がかけられていれば、オレたちは晴れて前科者の仲間入りとなるところである。
5分ぐらい走ったところにある小さな建物の中で、不思議なほど味のないチキンカレーを食べる。これはもしもタダでなければ、少なくとも日本人はゼッタイに食えないシロモノだった。タダのメシとはいえ、よくもまあこんなものをイギリス人は作ってくれるもんだと感心する。
あの粗食の国、オーストラリアの人たちがボロクソにクサすイギリスの料理とはいったいいかなるものか、と前々から興味があったが、やはり噂は真であった。とんでもないところで食べることとなったイギリス最初の食事であったが・・・、それにしても、マズイ。
再び「護送車」に乗って、もとの「特別室」へ。新手が数人加わって、部屋は午前中より賑やかになっていた。
ほどなくオレにインタビューの声がかかった。時刻は午後1時半。
オレをこの地獄に引きずり込んだあの女性審査官のでっかいおしりのあとについて、バックパックを取りにゆき、まず税関のチェックを受けた。頭にターバンを巻いたインド人(イギリスにはインド人の数が黒人の数よりも多いという)の税官吏が、バッグをほじくり回す。オレのような貧乏旅行者は麻薬などを運んでいることがよくあるらしく、現在のオレの境遇も手伝ってやつは隅々までチェックする。
ロンドンで売りさばこうとシンガポールで購入したサテンの安物の着物10枚をバッグに入れてあったが、それは見逃されホッとする。他には別に何もヤバイものはなく、OK。そのあと、特別室の隣りの小さなインタビュールームで、40歳ぐらいの男の官吏のインタビューを受けた。
「オーストラリアでの仕事は?」
「あなたは今までに行ってきた国で、いつも仕事をしてきたのか?」
「何でイギリスに3ヶ月もいるのか?」
などの質問が矢継ぎ早に出る。オレはやつらの質問の真意がイギリス国内で働く意思があるかどうかを判別することにありと確信し、その意思がないことを徹底的に主張した(カラーサで仕込んだ下品な表現を使い過ぎた、とあとから後悔したほど)。
話せばわかる人らしいこの官吏は、オレの剣幕に押されて、言葉をつまらせ気味になってきた。オレは一気にまくしたてた。
「何度も言うようだが、オレはこの国で働くつもりなど毛頭ない!いまのオレは働くことよりも、この国を見て回りたい気持ちで一杯なんだ。どうかそれをわかって下さい。そしてどうかオーストラリアに残した小切手の存在を信じて下さい。なんなら友人のところへ電話させてくれれば、すべてを証明できると思います。ここへ電話を持って来て下さい。お願いします!」
眉間にしわを無理矢理作ってガナるオレを、この中年の官吏はうすい灰色の目でじっと見つめていた。彼はオレのパスポートをめくっている。そしてタメ息とともに言った。
「Hummm・・・・,ミスターハルナ。あなたはフランス行きのビザを持っている。本来ならば、あなたは飛行機に搭乗したマレーシアまで送還されるところだが、帰る途中のフランス政府があなたに入国の許可を与えているのなら、そこで降りてみることも考えられないこともない。今回あなたをイギリスに入国させることはできないが、悪しからず・・・・・。だがフランスがあなたにビザを与えておるのなら、フランスはあなたを入国させてしかるべきであると私は考える。」
「・・・・・フランスは私を入国させてくれるんでしょうか?」
「それは私にはわからない。フランス政府が決めることだ。だがチャンスはなくはない。」
「・・・・・。」
それでインタビューは終わった。特別室に戻ったオレは、緊張と興奮と時差ボケと疲労のおかげで椅子にへたり込んだ。
もうどうとでもなれや、それがこの時のオレの心境だった。オレはそのまま椅子にもたれて、うとうとと眠りに入っていった。