1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の5

時間は流れる。タバコをねだったカナダ人と二人の黒人は役人に連れられて出ていった。あとにはオレと白人の男とインド人風の男と人種不明の女性が残った。
午前9時半を過ぎたころ、突然、
「ミスター■▲◎◆☆▲◎◆ from バングラデシュ、いますか?」
という大きな声が部屋じゅうに響いた。その声を発した役人はインド人風の男の顔を見つめて、
「あなたはバングラデシュの人ですか?」
「(無言)・・・・・・・。」
「あなたはミスター■▲◎◆☆▲◎◆ですか?」
「(無言)・・・・・・・。」
役人は英語で尋ねるが、男は何も言葉を発しない。顔は少しとまどった様子だが、なぜかこの男は体を微動だにしない。英語はまったく理解できないようだ。役人は顔をしかめて何やらブツブツ言いながら部屋を出ていった。
小1時間後、通訳を連れてきた役人はこの男を別室へと案内した。そして彼らは二度とこの部屋へは帰らなかった。
午前11時半、この部屋に閉じ込められて4時間がたったが、オレにはなんのお声もかからない。タバコも底をついた。オレは部屋のすみっこでフテ寝をきめ込んでいる白人の男に話しかけてみた。
「調子はどうだい?」
「良すぎることはないな。」
「あんたはどうなってるんだい?」
「オレは持ち金300ドルで6ヶ月を申請したらここに送られたのさ。オレにはロンドンにイギリス人のダチ公がいて、そこに寝泊まりさせてもらうことになっているんだって言ったのに、このクソッタレ野郎どもはまったく無視しやがった。」
「ダチ公とは連絡とれたのか?」
「ああ、やつはこの事務所から連絡を受けて、もうすぐここへやってくるはずだ。」
「じゃあ、問題なさそうだな。」
「そう願ってるんだが・・・。」
「あんたはギターを持ってるけど、それがマズかったんではないのか?おそらくやつら、あんたがそれでカネを稼ぐつもりだと思ったんだろうよ。」
「オレもそう思うんだ。それに300ドルという持ち金は少な過ぎるだろうし・・。」
このシカゴの南方300キロの町から来たというアメリカ人も、相当頭にきている様子。やつは6ヶ月間有効の往復切符を持っているため、もし強制送還となれば帰りの切符を使って帰環させられることになり、そうなればやつにとってこのトラブルはまさに大きな時間とカネのロス以外の何物でもなくなることになる。
「ホントにこいつは孫に聞かせてやれる話しだぜ。・・・まったく。なあ、そうだろ?」
やつは苦笑いを浮かべて言う。まったくだ。こんな話は前代未聞である。
「もちろん、孫の代までこのイギリスという国が存在すればの話だけどな・・・。」
やつのセリフには恨みがこもる。そして、オレとても、やつにまったく同感だ。