1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の3

やれやれ、ホントにエー加減にしてくれや、と言いたい気持ちで、ベンチに腰掛ける。
旅行者はみんなそれぞれオレと同じように審査を受けているが、彼らとオレが違うのは、なんやかんやいいながらも彼らがゲートを抜けていくことだ。オレはたった一人その場に残された。
列の最後の一人が終わり、女性官吏は後ろの部屋の中へ入っていった。
オレがなんで待たされなあかんねん?とブツブツ独り言を言いながら待つ。この大きな入国ゲートもいまはオレひとり。早く空港を出て、ロンドンの街を歩かんと気ははやるが、いかんせんパスポートを取られたままではまったく何の身動きも取れない。
約5分後、フクレッ面がドアを開けて、オレのそばに歩み寄ってきた。相変わらずあまり可愛らしくないしぐさである。そして、次の瞬間この女性審査官が夢にもないとんでもないことを言い出した。
「ミスターハルナ。あなたにはマレーシアまで帰ってもらうことになりました。残念ながらわれわれはあなたに入国を許すことはできませんので。」
と、ブッチョー面で、一言。
オレは言われた意味が呑み込めず、問い直した。
「いま、あなたにはマレーシアに帰ってもらいます、と申し上げたんです。」
「マレーシアへ帰る!?・・・・なぜ!?」
オレはカーッとなって、大声を出した。
「いまのあなたの所持金800米ドルでは、3ヶ月間イギリスで生活できませんから・・・。」
「だけど、オーストラリアにまだ1,000豪ドル相当の小切手が友人に預けてあるって言ったじゃないですか・・!」
「それが証明されない限り、何をおっしゃっても無駄です。」
オレは何がなんだかわからない。こんなはずはない。
「マネージャーを呼んで下さい!話がしたい。」
彼女はちょっと考えて、まあいいでしょう、とまた部屋に戻った。そして、彼女が連れてきたマネージャーは、典型的なイギリスアクセントで話す紳士を装ったガラッパチな大男だった。
「何か用ですか?」
男はうっとうしそうな顔でぶっきらぼうに訊く。
「なんで、オレが送り返されないといけないんですか!?」
オレはムキになって言った。
「なぜって、あなたは十分なカネを持ち合わせておられない。800米ドルで3ヶ月は不可能です。」
「だけど、オーストラリアにまだ小切手があるって言ってるでしょう!?」
「証明できないものを信じるわけにはいきません!」
「証明できないって・・・・!」
オレたちはケンカ腰だ。
「あなた、わかりますか?オレはこのヨーロッパに来ることをずっと楽しみにしていたんですよ!なんでオレが十分なカネを持たずに、こんなところまでやってくるはずがあるんですか!?」
オレの破れかぶれの食い下がりにオッサンは少し言葉をつまらせた。が、すぐに、
「それはどうも。だが、残念だけどあなたのケースはわれわれとしても看過することはできません。」
と、英国風作り笑いで切り返してきた。
「じゃあ、オレにいったいどうしろというんですか!?」
オレは悲痛な声出した。オッサンは、
「Well、まあとりあえず、あなたにはあそこの特別室で待機してもらいましょう。そして、追ってまたインタビューさせてもらいます。」
と、ゲートの横にある部屋を指差した。
フクレッ面女性審査官のあとについて、オレは部屋に案内された。
「ここでお待ち下さい。そのうちインタビュアーがあなたの名前を呼びに来ますので・・。」
この時点、時差ボケと長旅の疲れといましがたのトラブルとで、オレの頭の中は完全に混乱しまくっていた。そして胸の中は完全にカッカメラメラと燃え上がっていた。だが、それでもまだどうにかなるだろうと、心ではたがをくくっていた。
特別室はタテ20m×よこ20mくらいの大きな部屋だった。中には7人ばかりの人間がいた。大きなタメ息とともに、オレは椅子にどすんと腰を下ろした。