1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の2

ロンドンのヒースローは非常に大きな空港だ。シカゴのオハレ空港と並んで、世界で最も忙しいといわれるだけあって、機を出てから歩けど歩けどなかなか入国審査ゲートまでたどりつけない。
入国審査ゲートはイギリスパスポート保持者、ECパスポート保持者用のゲートとそれ以外のパスポート保持者用のゲートの二つに別れている。もちろんオレは後者の方へ。
向こうのゲートへ向かう人々が圧倒的に多く、こっちはその四分の一ぐらいか。しかし向こうのゲートは自分たちの国(EC各国の人たちはイギリスへの入国審査に際してはイギリス人と同じ扱いになる)へと帰る人たちの凱旋門にしかすぎず、パスポートをただつっ立っているだけの審査官に見せるだけで、みんな歩みを止めることなくすっすとパスしていく。
だが、どっこいオレたちの方はそうは問屋が卸さない。目の前にはシカメッ面をした審査官が、横一列に十人ぐらいズラッと並んで、旅行者一人一人に最低一分間ほどのインタビューを行なっている。オレと同じ機に乗ってきた乗客は整然と一列に並んで順番を待った。
オレの番が来た。これまで合計十数回、この手の場所はまったく難なくこなしてきた。オレは何も考えず、31、2歳ぐらいの、結婚生活があまりうまくいってませんワ、といったふうの女性審査官の前に立った。
「Hello.」
「Hello.」
「パスポートを見せてください。」
「はい、どうぞ。」
「イギリスへ来られた目的は何ですか?」
「観光ですけど。」
「どのくらい滞在されるつもりでしょう?」
「そうですね、3ヶ月ぐらいお願いしたいですね」
ごく普通の質問である。だが、オレはこの審査官のブッキラぼうな言い方が気にくわない。隣りの男性審査官は笑顔交じりに質問。その合間に、
「そうですか、それはいいですね。」
「どうもありがとうございました。お気をつけて行って下さいね。」
とか、温かな言葉をはさんでいる。この女性審査官、気乗りのしない仕事をしていることはわかるが、それを顔に出して欲しくはないものだ。
「3ヶ月ですか・・・?で、所持金はおいくらぐらいお持ちでしょう?」
「えーっと、ちょっと待ってください・・・。」
オレはバッグの中を調べた。
「今は、800米ドルくらいですかね・・。」
「800米ドル・・?それを見せていただけますか?」
「どうぞ。」
「Hum,800米ドルで3ヶ月ですか・・?」
「ええ・・・。」
「ちょっと少なすぎますねぇ?」
「そうですか・・?」
「イギリスで3ヶ月過ごすには、800ドルでは不足です。」
「手元にはいまその800ドルしかありません。が、オーストラリアの銀行口座を閉めたあと、1,000豪ドル相当の小切手が友人の手に預けられたままになっています。」
「それを証明するものは・・・・?」
「ありません・・。」
「ないものは、ないと見なすしかありませんねぇ・・。」
この女性審査官は、人を小バカにしたような扱いだ。
「いつ、日本をお出になられました・・?」
「85年の2月ですけど・・。」
「85年の2月!?」
彼女は目をむいて聞き直した(今日は87年の2月下旬である)。
「今までどこの国へ行かれましたか?」
「オーストラリアに20ヶ月、ニュージーランドに20日間、東南アジアに3ヶ月半ですけど・・・。」
「オーストラリアに20ヶ月・・・!?で、オーストラリアでいったい何をされてたんですか?」
ここで、彼女は急に落ち着かない様子を見せ始めた。
オレは冷静だ。何をガタガタ言ってやがるんだ、早く通してくれよ、と言いたいところをぐっとこらえる。
「ワーキングビザを持っていたので、働きながらあちこち見て回りました。」
「働いた?で、どんな仕事をされていたんですか・」
エー加減にしてくれや!と言いたくなったが、ここは外国。少し目をつり上げながら落ち着いて答える。
「最初は日本レストランで、そのあとは船食業、そして免税店で働きました。」
「オーストラリアのどこでですか?」
「主に西オーストラリアで、免税店はシドニーでした。」
ありのままを話すオレは冷静だ。だが、フクレッ面の彼女は机の前のボードのかげで何やら忙しく書きものをしている。そして、約29秒後、彼女が言った。
「オーライ、ミスターハルナ。ちょっとそちらの椅子でお待ち願えますでしょうか。」
「待つって・・、いつまで・・?」
「あの列がみんな終わるまでです。すぐに終わりますので・・・。」