E01 クアラルンプールからロンドンへの飛行機内

1986年2月A日 ヒースロー空港1日目の1

マレーシア航空 飛行機

 深夜のクアラルンプールの空港。

 ここから大阪までは飛行機でわずか5、6時間の距離でしかない。だが、いまオレの心は西洋文明の心臓部ヨーロッパに向かって動こうとはしない。この17時間のフライトの後、この両目に飛び込んでくるはずのロンドンの街のざわめきを思うと、胸はいやが上にもその体積を増してくる。

 クアラルンプール発ロンドン行きのマレーシア航空◯××便は定刻通りに飛び立った。ひとまず、さよならアジア。また来ることもあるだろう。

 シドニー・クアラルンプール間のフライトと同じように、このマレーシア航空の室内クルーは非常によく訓練されている。前回のシドニーからクアラルンプールまでのフライトでは「岩」のようなオーストラリアの女性ばかりを見慣れたあとだっただけに、マレーシア人スチュワーデスのまろやかな美しさにのみ目を奪われてしまったが、さすがに東南アジアで三ヶ月半を過ごしたあとでは、前回ほどのときめきはない。今回はむしろ男性クルーの応対の良さが目に映った。

 このフライトではマレー系クルーの比率が中国系よりもだいぶん多いようだ。なかにはインド人の血が入った大柄な人もいる。

 彼らは実にフレンドリーな応対をしてくれる。オレが日本人だとわかると

「ヨーロッパへは仕事ですか?」

とか日本語で訊いてきたりする。乗客の半分以上はヨーロッパ人だが、乗客はもちろんクルーも大いにエンジョイしながらのフライトだった。

いろんな人の話から総合的に判断して、このマレーシア航空とシンガポール航空とタイ航空、これら三つの東南アジアの航空会社は世界的に見てもきわめて上質のエアラインだといえそうだ。

 途中、アラブ首長国連邦のひとつ、ドバイに給油のため一時間のストップ。この間、飛行機を降り飛行場内を見学することを許されたが、いやはやここの免税店の価格の低さには目が丸くなってしまった。

 カラーサとシドニーで免税品をいろいろ扱ってきて、ある程度の免税品の知識が備わっていた自分にとっては、ここの店頭にぶらさがっていた値札はまさに驚き以外の何物でもない。国際的な基準からみても安かったオーストラリアの価格からまだ20%ぐらいは安いのでは。はっきりした数字は覚えていないが、ジョニーウォーカーの黒1リットル入りが千円以下だったと思う。

 だが、知って入る人はやはり知っているらしく、ふだんはあまりせかせかとした様子を見せない白人の女性も、この時だけは、とばかり女性の「本領」を発揮する。広い店内はやたら慌ただしい雰囲気で緊張していた。

 彼らの様子を見ていると、もし日本の団体さんあたりがここで買い物などしようものなら飛行機は永遠に発進できなくなるのでは、とふと心配になる。まあもっとも、彼らが来るようになれば、ここの価格帯も押し上げられざるをえなくなるのだろうけど。あたかもバンコク周辺の土地の価格が、日本企業によって、最近、軒並みつり上げられてしまったがごとく・・・。

 午後11時過ぎにマレーシアを発って西回りで飛ぶ飛行機は、夜の闇を西へ西へと追う格好となり、機内には長い長い夜が続く。二月の北半球の夜はまだ依然として長い。離陸してからすでに14時間が過ぎた。機内は言い様のないだるさにすっぽりと包まれている。

 多少荒っぽめのランディングに少しばかりトリハダを感じながら、機体はパリ・シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。現地時間は午前7時過ぎだが、外はなお暗い。

 乗客の頭越しに窓から見える空港の金色のライトに照らし出されているのは雪だ。北緯5度未満のクアラルンプールから一気に50度近いパリまでやって来たことを、そしてオレは今ヨーロッパに入らんとしていることをここで実感。眠気はどこかかなたへ飛んで行ってしまった。

 シャルル・ド・ゴール空港を飛び立ち雲間を抜けると、約22時間ぶりの太陽。年がら年中雨ばかりといわれる国イギリスへホントにこの機は行くんかいなと思えるほど窓の外は明るくなった。イギリス海峡が見えたと思ったら、もう陸地が見え始めた。

 イギリス。オーストラリア、ニュージーランドのルーツ。ビルマ、シンガポール、マレーシアを植民地として治めた国。

 機は高度を下げ始めた。オレはいよいよ数十分後、あのヨーロッパの大地に記念すべき第一歩を踏み出す、はずだった。

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