1986年2月B日 ヒースロー空港2日目の4

拘留室内で昼食を終えて気分もやや開き直って、心は昨日と比べるとかなり穏やかになっている。
しかし、どう考えてみても、いまオレが置かれているこの状況は異常だ。こんなことがあっていいのか、イギリス政府というのはなんてイヤな存在なんだ、という思いが頭の中で断続的に点灯する。オレはまだここから脱出する方法をひそかに考えていた。
することもなく、またひと寝入りでも、と頭を壁にもたれかけてうとうとし始めたころ部屋の中の誰かが、
ロンドンの×××大使館で・・・、というセリフを吐いた。そしてその時オレはロンドンにある日本大使館というものの存在を、これまで自分がまったく無視してきたということにふと気がついた。
時刻はまだ午後1時半、しかし今日は土曜日だ。大使館に人がいるかどうかわからない。いくら日本の役所だとはいえ、ここは労働争議の先進国イギリス。さすがの働きバチももうみんな家に帰って、いまオレたちがこの部屋で見ている退屈なBBCのテレビでも見ているのかもしれない。
それにオレには、いまだにフィリピンの大使館員の、あの「Which company?」の悪夢が頭にこびりついている。
だが、このヒースローも同じロンドン市内。少なくとも電話料金の心配はない。まあ、だめでもともと。いっちょお助けを頼んでみるとするか、とオレは腰を上げて、電話器を取った。
呼び出し音が4回鳴って、
「日本大使館です。
という中年の日本男性の日本語が返ってきた。
「こんにちは。ハルナという旅行者なんですが・・・・・・。」
オレは一部始終を話した。相手の男性は、それを終始静かに聞いていた。
「ああ、そうですか。それは大変ですねぇ。」
「ええ、まいってるんですよ・・・。」
「Humm・・・、いや、わかりました。私は鈴木と申します。こちらの守衛をしておりますので、私としては何もお力添えできないんですが、恐縮です・・・・。でもお聞きしますと、たいへんお困りの御様子ですので・・・・、そうですね・・大使館の方々はもうみんなお帰りになってしまったんですが、なんとかちょっと連絡をとってみましょう。そちらの電話番号をお教え願えますか?」
オレは予想もしなかった好リアクションに、文字通り踊り上がった。この部屋の電話番号を伝え、丁寧な丁寧な礼を述べて電話を切った。
やはりロンドンあたりの大使館はちがうなあ、と感心することしきり。心も軽くなってきた。
もし大使館員と連絡がつけば、その人にマニラの日本大使館と連絡をとってもらって、オレの小切手の存在を確認してもらえるかもしれない。そして、その事実をここの入国審査官に突き付ければ、この身の釈放も実現できるかもしれない。なんといっても、大使館のお墨付きを取り付ければ、ここの頭デッカチの役人たちも納得せざるを得ないはずである。
急に部屋の中が明るくなっていくように見え始め、心はバッキンガム宮殿の衛兵と並んで記念撮影する自分、コベントガーデンの大道芸人に大笑いする自分、そしてこのヒースロー空港の外からアッカンベーをしている自分をはっきりと映しだした。
見ていやがれ、あの女性審査官。目にものを食らわせてくれる。守衛のおじさん、よろしくよろしくお願いします・・・・。
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